出典元:「日刊スポーツ / アフロ」 往年の石原裕次郎と長嶋茂雄
戦後日本を代表するスポーツ界のスーパースターであり、「ミスタープロ野球」と言われ、一時代を築いた巨人終身名誉監督 長嶋茂雄さんが3日に死去しました。享年89歳でした。
長嶋茂雄さんの訃報に接し、インターネットやメディアを通してさまざまな人がコメントを出していますが、改めて人脈の広さに驚かされます。まさに、スポーツ界の枠を超えた国民的ヒーローでありました。巨人が嫌いでも長嶋茂雄を好きだという野球ファンは多くいます。
入団2年目の1959年対阪神戦の天覧試合で、逆転サヨナラホームランを打った試合は、私が高校二年生と時でした。1965年から王貞治さんとのONコンビで、川上哲司監督のもとプレーヤーとして1965年から9年連続日本一の達成に貢献しました。現役時代は、新人王をはじめ、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度、リーグ最優秀選手(MVP)5度選ばれました。
1974年の引退セレモニーで「わが巨人軍は永久に不滅です」の名セリフはあまりにも有名で未だに語り継がれています。監督としては一度解任されましたが、巨人監督として二度に渡り通算15年務め、5度のリーグ優勝と2度の日本一に輝きました。
長嶋さんは理詰めの論客ではなく独得の感性で物事を話す人でした。天然な面もあり数々のエピソードに事欠きません。スポーツ界において、選手や監督の一言が災いしてメディアから攻撃や非難されることがありますが、何をやっても憎めないところがあったように思います。
ファンを喜ばせるため、勢いよく空振りしてヘルメットが飛ぶのも演出だったそうです。宮崎キャンプでジャンバーを脱いで背番号3番復活のお披露目も話題になりました。すべてがネタになってしまうのです。
日本代表監督に就任しアテネ五輪の出場権をとったものの、直前脳梗塞で倒れ、主治医から出場はムリと言われ、悔し涙を流して断念。主治医も涙するその姿に貰い泣きされたそうです。懸命なリハビリを経て復帰。その後 文化功労者や愛弟子の松井秀喜さんと共に国民栄誉賞を受賞したことは皆さんご存知の通り。
映画界のスーパースター石原裕次郎さん(享年52歳)とは「シゲ」「裕ちゃん」と呼び合う仲でした。歌謡界のスーパースター美空ひばりさん(享年52歳)も同じ歳で若くして亡くなりましたが、長嶋茂雄さんは、昭和の国民的スーパースターの一人として、スポーツ界の枠を超えて長く存在感を放っていました。しかし、ついにその日が来たかと言う感じです。ぽっかり穴が空いたようにとてもさみしいです。一つの時代が終わったことは否めません。心よりお悔やみ申し上げます。