原爆投下から78年目の夏 ひろしま原爆の日 平和記念式典営まれる

原爆投下から78年、今年もあの当時と同じ暑い日を迎えました。広島市民にとって忘れえぬ出来事であります。今は亡き母の話では、私は爆心地より4km離れた自宅で蚊帳の中、原爆投下と同時に家中の窓ガラスが割れ、蚊帳に飛び散ったガラスの破片がつきささったのだと聞かされました。幸に怪我はありませんでした。

午前8時より、平和記念公園で原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)が営まれました。8時15分には、平和記念式典と同時進行で市内にサイレンが鳴り、広島市民は1分間の黙とうをします。


出典:NHK Live中継映像 (2023-8-6)

世界で初めての原爆投下により、約15万人の人が亡くなくなりました。原子爆弾は、地上600メートル上空で閃光を放って炸裂し、灼熱の火球を作りました。 火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には半径200メートルを超える大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。

原爆がさく裂した地点では、強烈な熱線で人々の皮膚は焼けただれ、ゴムのように垂れ下がり、全身に致命的なやけどを負いました。熱いので川に飛び込んだ市民が多く、川は死体で隙間もなくいっぱいだったそうです。

さらに、爆風によって地面に叩きつけられたり、飛んできたがれきによって傷つけられたりしました。また、奇跡的に生存できた人もいましたが、致死量の放射線が降り注いでいたので、放射線被ばくにより、髪が抜け落ち数ヵ月後に亡くなった人もたくさんいます。後年 放射線後遺症で苦しんだ人もいます。

原爆被爆者は、約11万9千人(2022年3月現在)生存者の平均年齢は84.53歳だそうです。毎年1万人ペースで亡くなっており、被爆の惨禍をいかに次世代へ繋いでゆくかが課題となっています。被爆一世の語り部も減少の一途であり、原爆(核)の恐ろしさを風化させてはいけないと思います。


出典:NHK Live中継映像 (2023-8-6)

原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)は、昭和20年(1945年)8月6日、世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を平和都市として再建することを念願して設立されました。中央の石室には原爆死没者名簿が納められており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。

33万3,907名(2022年8月6日現在)の死没者名簿が奉納されています。私も亡くなると死没者名簿に記帳され奉納されます。これからより長く元気で生き抜くことが、被爆で早く亡くなられた方への供養になるのではと勝手に思っていますw

ロシアのウクライナ侵攻はおろかなことだと思います。ロシア国の威信を保つために、戦争を起こすプーチンは狂っているとしかいいようがありません。時のヒットラーと何ら変わりません。この戦争が世界中の食糧問題を悪化させ、ガソリンなどエネルギー供給、生産資材などに影響きたしています。核使用するみたいな話もでており、核を使わず占拠したウクライナ原発の爆破の話も飛び交っています。ロシアのチェルノブイリの教訓はどこに行ったのでしょうか。

映画の世界では、核使用による人類破滅のストーリーもありますが、核使用するほど愚かな行為はありません。エンタメの世界では楽しめても、リアルの世界ではあってはなりません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です