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中国新聞に掲載された「太田川放水路」の夜景がとても印象的(広島)


出典:中国新聞デジタル

9月12日付中国新聞「太田川 恵みと営み」シリーズ 第18回【放水路の本分(広島市)】が掲載されましたが、紹介されていた太田川放水路の上空からの夜景がとてもきれいで印象的でした。写真手前から上に伸びる太田川放水路の夜景ですが、写真に写っている河川沿線は直線距離で約8kmはあります。望遠レンズで撮っているため、奥行きが圧縮されているので、遠く離れた距離がとても近く見えてしまいます。

Google Earth上で、写真の画角を再現すると以下の通り

四角(赤線)で囲まれたエリアが、撮影された写真の画角エリア

9/12付 中国新聞に掲載された「太田川 恵みと営み」の記事と写真(22面) 

このシリーズは、昨年12月より第1回が始まり、シリーズ化されています。太田川の恵みや営みに拘わる市民のかかわり合いや出来事など、記事と写真で月2回ペースで紹介されています。毎回 写真をみて興味があれば記事を読んでいます。今回はインパクトのある太田川放水路の夜景写真に、つい引き込まれました。最近コロナ禍の影響もあって、趣味の写真撮影に出かけることがなくなりましたが、これから秋のシーズンに入りますので、機会があれば撮りたいものです。

広島市は、太田川を源流とする三角州の上に街並みがあり、川の街とも言われ、昔は市内に7つの川が流れていました。東から猿猴川、京橋川、元安川、本川、天満川、福島川、山手川の7つです。広島市の市章は。3本の川マークになっているほどの「水の都」なのであります。

西端にあった、福島川、山手川を埋め立て、開削して大きな1本の川(放水路)に作り替え、大雨
の時には市街地の川に流れ込む水量を、上流にある大芝・祇園の水門で調整し、大量の水を速やかに海に流すようにするというのが太田川放水路の計画でした。

太田川放水路が出来るまでは、台風シーズンになると勢いで溢れる水量で、幼少のころは近所を流れる天満川にかかった橋は、木製が多く毎年のように流されていました。橋が流されると歌の「矢切の渡し」ではありませんが、住民は渡し船で行き帰りをしていました。

昭和42年、戦前の着工から36年の歳月と145億円(平成2年のレート換算で約3,200億円)をかけて太田川放水路が完成しました。太田川放水路が出来てからは、上流・下流とも堤防氾濫による浸水被害はなくなりました。そんな歴史のある太田川放水路終端の両側に位置するヘリコプターエアポート(元広島空港跡)や草津漁港のある河川沿線は、マラソン練習コースでよく利用しています。