演歌の女王 八代亜紀さん逝く 享年73歳 また昭和の顏が消えた

また昭和の顏が消えた。昨年12月30日、「舟唄」や「雨の慕情」で知られる〝演歌の女王〟と呼ばれた歌手、八代亜紀さんが死去しました 享年73歳。昨年9月、膠原病に罹ったことを公表し、復帰を目指し病気と闘っていましたが、12月下旬に容態が急変、急速進行性間質性肺炎のため、闘病半ばで力尽き亡くなりました。

ニュースによれば、八代さんは昨年8月下旬、皮膚炎などの症状があったため、複数の病院を受診した結果、膠原病の一種で、指定難病の抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎の発症が判明。急速進行性間質性肺炎を併発したため活動を休止して入院、治療に励んでいました。

今の若い人には、昭和の歌謡曲はじめ演歌歌手なんて馴染みがないかもしれませんが、テレビの歌謡番組には欠かせない常連歌手でもありました。

彼女は、中学卒業後 16歳でバスガイドとして就職。ガイドとしてバスの中で歌う度胸試しに、地元キャバレーで歌っていたそうで、父親に知られることになり、勘当のような形で熊本から上京。銀座のクラブ歌手になり、苦労を重ねた末に大輪の花を咲かせました。阪神大震災や東日本大震災、故郷を襲った熊本地震の被災地には何度も足を運び、家や家族を失った被災者を励ますため歌を届けました。

八代亜紀さんは1971年にデビュー、1973年に「なみだ恋」がヒット。その後「愛の終着駅」「おんな港町」「舟唄」などヒット曲を連発し、1980年には「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞の大賞を受賞。演歌にかぎらずブルースやジャズなどジャンルを問わず歌っていました。

※ 以下は、ブログ内 限定公開の動画です(私がYoutubeにアップしたもの)

1977年「トラック野郎・度胸一番星」の映画出演を機に「トラック野郎の女神」として多くファンを集めました。当時、あのハスキーな声で歌う「なみだ恋」は一世を風靡しました。

彼女は非凡な絵の才能もあり、筆の産地で知られる広島市熊野町で、「筆の里工房」というミュージアムに出品したこともあります。昔、八代亜紀さんを含む著名人の絵画展があり、彼女の描いた絵も見たことがあります。やりたいこともいっぱいあっただろうに、さぞ無念だっただろうと思います。

年末年始にかけて、八代亜紀さんだけでなく谷村新司さんや中村メイコさんなどが亡くなり、立て続けにビックな昭和の顏が消えてゆくのは大変さみしいものがあります。

中村メイコさんは享年89歳でしたが、こちらは天寿を全うした感があります。昨年のNHK紅白歌合戦の視聴率は振るわなかったそうです。私の世代では、家族全員で見ていた番組ですが、そういう時代も今や昔。テレビ離れはすすみ、若者はYoutubeやTiktokをみて楽しみます。日本人口の25%以上を占める高齢者も、今の若者の歌にはついてゆけませんので、今後ますます紅白の視聴率は下がると思います。

かって良き時代、半世紀以上前に3年続けて紅白の司会を務めた中村メイコさん。天才子役として2歳で映画デビュー、放送・芸能界でのキャリアは86年以上。7色の声ももった芸能人としても有名でした。彼女が歌った「田舎のバス」は、幼いときラジオからリアルに聞いた記憶があります。

昭和の芸能人は、語彙が豊富で話がおもしろいです。美空ひばりさんとも仲がよかったので彼女の代弁者としてもテレビに出ていました。私が過ごした「昭和」・「平成」、そして現在進行形の「令和」~ヒーローの逝去と共に、昭和の名残りは完全に消えつつあります。もう思い出の中にだけ残り、昭和の歌を聴いたり、当時の映画を見たりすると、良き昭和の青春時代を思い出す今日このごろです。私も年をとった証拠ですね(笑)

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