ヒロシマグランドゼロ〜原爆ドーム全体に公開
2005年08月06日11:30
60年前の今日、8月6日午前8時15分、600メートル上空で原子爆弾が炸裂、すごい閃光と共に一瞬にしてヒロシマが無くなった日です。広島の命日でもあります。先ほど平和記念式典が終わったところです。

私は当時3才で爆心地から3キロ離れた家の中で母親と被爆しました。当時も暑い夏の日だったそうです。閃光と共にすごい爆風でガラス窓がすべて割れ、蚊帳にグサグサに突き刺さりました。外にいたらひとたまりもなかったでしょう。

広島の人はピカッと光ってドーンと音がしたので原子爆弾のことを通称「ピカドン」ともいいます。私は赤ちゃんだったので何も覚えていませんが、今は亡き母親から8月6日になるといつも当時の話をしてくれていましたが言葉に言い尽くしがたいそれはもう悲惨で地獄絵図さながらだったそうです。

日本の将来を担うかもしれない小学生の60%が8/6の朝何があったか知らないそうです。
戦後60年も経てば致し方ないかもしれませんが戦争のこわさ悲惨さを風化させることなく 後世に語り継いでいかなければと思います。

先日、原子爆弾を開発しエノラゲイから原爆投下の撮影もした某博士が来広、被爆代表者と会った時、「私は謝らない 悪い事はしていない」と。悲惨さを伝え今でも後遺症で悩んでいる被爆者がいる事に対するコメントがである。また「パールハーバを忘れていない」とも。要はお互い様だということらしい。心外なことですが戦争における加害者と被害者の気持ちは同化することなく一方は英雄であり一方は敗者なのです。

「人類みな兄弟」なんてゆきませんかねぇ(笑)少しテンションがあがり長い日記になっちゃいました。<(_ _)>

コメント

ちゃこりーな2005年08月06日 12:03
はじめまして。何気にここに辿り着きました。タイトルに目がいったので日記読ませてもらいました。
私は30代なので戦争のことよくわかりませんが父から少しだけ聞いたりしました。
ほんとに『人類みな兄弟』になる日がくるといいですね。。
チャト2005年08月06日 12:34
こんにちは、私は一広島市民として、小学生のころからずっと平和とは何かとか、原爆とはどのようなものだったかとか、その結果についてとか、いろいろな平和学習を受けてきました。そのうえ、私の祖母は、広島の原爆と長崎の原爆を受けた、2重被爆というとても珍しい体験をしている人です。それだけ、この時期になると、知らないながら、8時15分にあったことを想い、平和とは何かを考えます。 口で、平和、平和とはいいますが、すべての人が本当に平和に過ごすというのは、ほぼ不可能に近い、とても難しいことですよね。
毎年、いろいろ考えさせられる日になります。8月6日。そして、これからもずっと考えていく日になると思います。
ママゴン2005年08月06日 16:42
要するに、勝者と敗者との話ですね。
ケンカは勝たなきゃダメってことです。
歴史は、勝者が作ってきました。これからも、そうなんです。
広島、長崎、沖縄、東京大空襲・・・それらの無差別攻撃が、パールハーバーと同列なんですね。いえ、パールハーバーに負けている。悲しい事です。
「死ぬ者貧乏」って、この事かしら?

>小学生の60%が8/6の朝何があったか知らない・・・
これが、ゆとり教育の結果だとすれば、あまりに悲惨!
文部省は何、やってんだ〜〜!って、叫びたい!!!
日本の将来を憂えてしまいます。

ともあれ、亡くなった多くの方たちに・・・合掌。

ママゴン2005年08月06日 17:02
追伸です。
パールハーバーは、映画になって、アメリカで、大ヒット!
日本でも、若者を中心に、スゴイ収益だったそうです(ーー;)
パールハーバーについては、もっと、言いたいことがありますが、ま、今日は止めときます。
では、トラトラトラ!!!
ちちち2005年08月06日 22:40
戦争 争い戦う 人それぞれ生きてきた環境 考え方
色々あると思うんで そりゃ 争う事いっぱいあるんでしょうが 人の命を犠牲にしてまで 戦う事ってつらいですね
今日テレビで 各国の世界地図から見える世界情勢と 言うのをやってて 最後に 宇宙から見る世界地図を見せて
説明されてた先生が どんな国の世界地図にも 国境線が
書いてあるけど 宇宙から見た 世界地図には 国境線なんてない って うまく言えないけど みんな同じ地球人だと
みんなが思える日が来るといいなぁ
ET2005年08月06日 23:27
男爵様おはよう。今日は8月6日。私の町でも夜追悼と核兵器反対の集いが公園であります。私はもちろん行きます。そしてここにいる若い日本人の学生たちも誘いました。それから仕事の同僚も。アメリカ人でも今となれば悪いことだったと考えてる人もたくさんいると思います。このあいだ息子がスミソニアンに行きましたがエノラゲイの写真を写してました。でも彼はあまり戦争のこととか知らないのでなにげなく見せてくれましたけど 私はこの飛行機が原爆を落とした飛行機と思うとつらかったです。
ヒデタン男爵2005年08月06日 23:46
>ちゃこりーなサン
はじめまして〜。もし核戦争がおこれば人類を破滅することが判っているのに国の威信の為に保有する大国。おろかなことだと思います。すべて国が核を放棄してすべての人々が仲良くならばいいのに〜と思います。でも不可能なことなんでしょうね。

>チャトさん
チャトさんのような若い方が原爆投下を踏まえて平和に対してそのような真摯な考え方をすることはすばらしいことだと思います。大変な体験をお持ちのおばあさまのお話もきっと語り継がれることでしょう。

>ママゴンさん
親戚の方になくなった人がおられる由。8/6は被爆者にとっては何年経っても忘れられない出来事ですが、亡くなった人、今も後遺症で悩んでいる人の痛みは風化させることなく後世に残し行かねばいけないと思います。
でも小学生の認識度を考えると薄らいで行くことも否定できず
平和ぼけ日本の将来を憂います。

パールハーバは見ました。映画として娯楽という前提でみれば面白かったです。でも戦争を憎みながら片やこういう戦争映画をみて楽しんでいる自分に怖さを感じます。

>ちちちサン
地球上に生物が誕生して数百万年後の現在、地球を支配しているのは人間ですからね。人間は征服欲が強い動物なのでしょう。
「猿の惑星」という映画がありましたが地球を飛び立った宇宙船が2000年後の地球に不時着。核戦争をした人間が滅びそこでは猿が人間を支配していた話です。
核戦争したら人類破滅のわかっているのにそれを作っているいつか人間はわが手で人類を滅ぼすかも〜。「人類みな兄弟」は夢のゆめです。
ヒデタン男爵2005年08月07日 12:09
>ETさん
「リトルボーイ」を開発した人も投下した人も当時は上の命令でしたことですから戦争を憎んでもその人達を非難できないと思います。
核被害が薄れてゆくなか風化させない為にも誰かが語り継いでゆかないといけないですね。戦争知らない世代が将来国を担う時、再び過ちを繰り返さない為にも〜。
ET2005年08月07日 23:42
そうですね。私の友達はほとんどが大学で研究したり教えたりまたは日本から博士号をとりにくる研究者達。彼・彼女達とつきあって思うのは皆自分の研究にはとことん突き詰めて研究して他のことには気がつかない または純粋すぎると言うか。悪く言えば視野が狭いと言うか。研究者の立場は時にはつらい立場に立つことになりますよね。 
渋ちゃん2005年08月09日 16:29
広島と長崎に原子爆弾を投下されたことは歴史上の事実という
ことで認識していますが、身近に被爆体験者が居ないものですから
実感としては薄いものになっています。
(被爆者の方々すいません)<m(__)m>
歴史の教科書にでも被爆の写真や体験者の話しが載っていれば
8月6日がもっと印象深い日になっていたかも知れません。
現在の教科書にはどの程度のことが紹介されているのか知りませんが、
子供のころから日本が行ったことと、日本が受けた行為をしっかり
と教える必要があると思います。
唯一の被爆国として。
ヒデタン男爵2005年08月09日 22:37
>渋ちゃんサン
私は母から8/6になるといつも聞かされました。体験者の話はインパクトがあります。しかし当時の語り部である被爆者の高齢化が進み年々亡くなられ20数万人の尊い命が失われたことはもちろん今も放射線の後遺症で悩んでおられる事も薄らいできています。
核被害の悲惨さや核使用の愚かさを風化させない為にもしっかり後世に伝えて行かないといけないと思います。
ET2005年08月10日 10:08
日本の中学生や高校生みんな修学旅行以外に歴史の一部として広島や長崎をおとずれるのを義務つけられないのかしらね? 海外に行く学校もあるのでしょう? 今では又日本の周辺でいろいろな摩擦が起こりつつあるので戦争の怖さを若い人に知ってもらわないと。 取り返しのつかないことにならないように。
ヒデタン男爵2005年08月10日 11:03
>ETさん
ほんと同感です。風化させない為にも接点は出来るだけ多くあった方がいいですよね。原爆記念日には多くの情報やメッセージが世界に発信されますがそれをすぎるといつもの静かな平和記念公園に戻ります。
 戦争体験のある人は二度とあってはならないと実感していますが戦争知らない世代はあってはならないと感じていてもあの悲惨さは想像つかないと思います。今はインターネットをはじめとする通信や交通手段も発達し世界の国々は決して遠くありません。
 国の将来を担うかもしれない若い世代の人たちに原爆投下された広島や長崎の現実を風化させることなく核のない争いのない世界にしてもらいたいものです。
羅留×22005年08月11日 06:49
先日NHKスペシャルで被爆して背中を火傷した方の
その後の生き様を知り、ものすごい衝撃を受けました。
彼は60年間、背中に原爆の恐ろしさを言葉より雄弁に語る
証拠を持って、その愚かな人間の行為を二度と繰り返さない為に
命を削りながら伝えてくれているのです。
ヒデタン男爵2005年08月11日 09:55
>羅留さん
私も当時は赤ちゃんでしたので正直何も覚えていません。小学校の夏休みの宿題で原爆を素材にした紙芝居を作りました。その時母の話から原爆がいかに悲惨で残忍なものだったか子供ごころに判りました。
学校で発表する時、みんな真剣な気持ちで見てくれました。今でも被爆当時の写真や遺品、様々なドキュメントや映画などこわくて見れないとか思い出したくないという人もいます。しかし、二度と繰り返さない為にも広島や長崎へのおろかな行為はしっかりと後世に引き継いで伝えてゆかないといけないです。