60年前の今日、8月6日午前8時15分、600メートル上空で原子爆弾が炸裂、すごい閃光と共に一瞬にしてヒロシマが無くなった日です。広島の命日でもあります。先ほど平和記念式典が終わったところです。
私は当時3才で爆心地から3キロ離れた家の中で母親と被爆しました。当時も暑い夏の日だったそうです。閃光と共にすごい爆風でガラス窓がすべて割れ、蚊帳にグサグサに突き刺さりました。外にいたらひとたまりもなかったでしょう。
広島の人はピカッと光ってドーンと音がしたので原子爆弾のことを通称「ピカドン」ともいいます。私は赤ちゃんだったので何も覚えていませんが、今は亡き母親から8月6日になるといつも当時の話をしてくれていましたが言葉に言い尽くしがたいそれはもう悲惨で地獄絵図さながらだったそうです。
日本の将来を担うかもしれない小学生の60%が8/6の朝何があったか知らないそうです。
戦後60年も経てば致し方ないかもしれませんが戦争のこわさ悲惨さを風化させることなく 後世に語り継いでいかなければと思います。
先日、原子爆弾を開発しエノラゲイから原爆投下の撮影もした某博士が来広、被爆代表者と会った時、「私は謝らない 悪い事はしていない」と。悲惨さを伝え今でも後遺症で悩んでいる被爆者がいる事に対するコメントがである。また「パールハーバを忘れていない」とも。要はお互い様だということらしい。心外なことですが戦争における加害者と被害者の気持ちは同化することなく一方は英雄であり一方は敗者なのです。
「人類みな兄弟」なんてゆきませんかねぇ(笑)少しテンションがあがり長い日記になっちゃいました。<(_ _)>