大和ミュージアム〜戦艦大和全体に公開
2005年06月01日22:56
今年4月23日に「大和ミュージアム」が広島県呉市にオープンしたが、日祝日は入場者が多いので平日にと思い本日やっと行ってきた。戦時中は軍港と言われた呉市の歴史や造船技術など当時の生活・文化にふれながら紹介している科学技術館である。年配者が多いかなと思っていたが若い人たちも結構見に来ていた。

中でも圧巻は3階吹き抜けに展示された10分の1の「戦艦大和」の模型(26.3m)である。

若い人は知らないかもしれないが、排水量7万2808t、全長263m、最大幅38.9m、46cmの3連主砲9門(発射される砲弾1.9m重さ1.4t)を装備〜世界最強の不沈戦艦と言われ昭和16年に秘密裏に呉の造船所で完成。

しかし昭和20年4月沖縄への特攻海上作戦の途中アメリカの総攻撃に合い3000名の尊い命と共に撃沈された。

今年12月、辺見じゅん原作「男たちの大和」が上映されるが広島県尾道市で大和の実物大艦橋と甲板のセットが作られロケがはじまっている。反町隆史、中村獅童、仲代達也などが出演する。今、戦争を知らない世代が8割を占める。戦後60年、戦争は風化されつつあるが戦争の悲惨さは絶対忘れてはいけないと思う。今テレビをにぎわしているミンダナオ島の日本兵もある意味では間違いなく戦争の犠牲者だ。

ちょっと重い日記になったかも〜話題探しに苦労してます^^;

コメント

ASAKO2005年06月01日 23:57
世の中のために、時には重い話も必要でしょう!
その時代、どれだけの父が、母が、涙したことでしょう。
福知山線事故の犠牲者、その家族の悲しみと重ね合わせて、想うと、とてもとても、つらいですね。
ママゴン2005年06月02日 00:04
ヒデタン男爵さーん
大和って、でも、結局は、戦争のために造られた兵器ですよねー。何の為に、模型まで作って展示しなきゃいけないのか、ちょっと、理解に苦しむですよ。
アメリカでの、エノラゲイの展示と一緒にしちゃいけないのはわかりますけど・・・
ワタシも、戦争知らない世代です。もちろん、戦争を風化させるべきではないと、思います。
だけど、その事と、日本の誇る戦艦大和の展示とは、異質なのではないですか?
生意気言って、ごめんなさい。
ASAKO2005年06月02日 00:25
>ママゴンさん
そういう考え方もありですよね。いろんな意見の人が居るということが大事なんだと思います。怖いのは、全体主義です。
どんどん、言いたいことを言いましょう〜。
ちょっと、気の小さい私ですが、子のため、孫のため、言うゾォッ〜、戦争反対!!









ママゴン2005年06月02日 00:36
じゃ、調子に乗って、言ってしまいますが、小泉さんは、靖国には、絶対に行くべきです。戦争を風化させないためにも、戦争の犠牲者に日本のトップが、二度と、あやまちはくりかえしませんと誓うこと、当たり前!卑劣な中国なんかに、屈しないで欲しい!!
ASAKO2005年06月02日 08:40
>ママゴンさん

大丈夫、小泉さんは筋金入りの、頑固者です。

中国に 本音を言えと 言ってやれ〜・・
こんなんで どうでしょう?
捨吉@ポソコン2005年06月02日 10:45
まさに圧巻ですね。当時の造船技術の最高峰といえるのではないでしょうか。でも「兵器」ですよね、原爆ドーム(行きました)を残す広島において、かたや「大和」が鎮座する。複雑ですね。うちの叔父は亡くなる寸前までビルマ遺骨収集団の代表みたいなことをしていましたが、悲惨な話をたくさん聞かされました。一方、東京大空襲の夜、事前に伊豆に疎開していた私の母は空襲の光が「妙に美しかったと感じた」と言っていました。無論、戦争に対してははげしい怒りがあったのですが。いろいろな、思いが交叉する「戦争」ですが、やはりあってはいけないことですね。
ヒデタン男爵2005年06月02日 11:55
ASAKOさんとママゴンさんが議論している〜(笑)でもそれだけ「戦争」というキーワードからその人の年齢や立場で考えはいろいろあって当然だと思います。

>ASAKOさん
飼っているペットが亡くなっても悲しいのにまして血を分けた親や子がなくなれば(病気ならまだしも)その悲しみは想像を絶するもがありますよね。技術将校が家族にあてた遺書も一部も公開されていましたが冷静沈着な文面に驚きを感じます。

>ママゴンさん
いえいえ そういう意見もあって当然でしょう〜。私のイメージしたママゴンさんらしいと思いました (^^

「戦艦大和」は悲惨な戦争のシンボルであったらこそ逆にしっかりとした歴史認識を踏まえ事実に蓋はしない方がいいという考えもあります。(私、偉そうなこと言っていますねぇ〜笑)
でも行かれるとわかりますが、正式名は「呉市海事歴史科学館」で愛称として「大和ミュージアム」となっています。造船技術を主とした先人の努力の過程を設計図や実物で紹介しています。当時世界に誇れる造船技術を改めて実感しました。でもその結集した技術力で出来上がった傑作品が兵器「戦艦大和」であった事は皮肉ですよね。当時の技術が今日まで継承されているものもたくさんあるようです。

>捨吉さん
戦争秘話は涙なくして語れないものがたくさんありますよね。
小学生のころ母がなんども原爆投下直後の悲惨さを話してくれていました。その母も今はいませんがその話は忘れていません。戦争は憎んでいるのにお母様の言葉は意味深いですね。
たみ2005年06月02日 16:26
うわーーー!!すごいですねー。
10分の1でも迫力ありますね!素直に見てみたいです。
私はヤマト=宇宙戦艦ヤマトになってしまいう年代ですが、
「大和」という響きに、良い意味で日本人の誇りを感じます。
ママゴン2005年06月02日 16:50
捨吉さま
南方の悲惨さは、大岡昇平の本で読み、衝撃を受けた事、あります。父は、広島の第なんたら部隊(覚えてない)にいて、被爆してます。今は痴呆ですが、まだ、元気です。叔父は、ソ連に3年いました。その話は、あまり、したがりません。お酒飲むと、古い歌で、何とかという歌手の歌った、(ごめんなさい、知らないづくめで、)波のせのせに〜〜ゆられてゆれーて♪と言う歌を泣きながら歌います。戦争も、戦後も知らないわたしですが、心に沁みる歌です。
ヒデタン男爵2005年06月02日 21:54
>たみさん
宇宙戦艦ヤマトのコーナもありましたよ〜♪

>ママゴンさん
割り込みます<(_ _)> その歌はたしか田端義男の「帰り船」です。
nantako2005年06月02日 22:42
戦艦大和の事を主人に、言いましたら、16年に・・・20年に・・・こんなの日本人なら知っておかないといけない、尊い命が・・・って言っていました。江田島の、海軍兵学校を、見学した事が有りますが、10代、20代で国の為に命を・・涙しました・・父、母に、宛てた手紙等も・・・。
中国がなんと言おうと、靖国神社は、お参りして欲しいです、戦没者が浮かばれません。やっぱり話が、重くなりました。
(ーー;)
捨吉@ポソコン2005年06月03日 00:10
ママゴン様
実は私の実兄が最初に結婚した相手のご両親も被爆しており、随分早くに亡くなりました。孫の顔を見ることができたのは幸いでしたが。ママゴン様のお父様がお元気なのは、なによりです。戦争が残す爪痕は様々な形で永い年月に渡って残りますね。地球にも人間の心にも。きっと、小さなことが発端となって始まるのでしょうね。
しかし、悲しいかな特に男の子は、メカニズムやスタイルという部分で戦艦や戦闘機にあこがれてしまうのです。
今、戦争に使われている最先端の技術やお金をつぎこめば、世の中もっと平和になるような気もします。
ママゴン2005年06月03日 10:24
本当に、そうですね。
毎日のニュースで、イラクなどで、あまりにも簡単に人が死ぬので、見る方もなんだか慣れてしまって、あ、今日のテロでは、5人の死亡か、少なくて良かったなどと、感想もらしてしまってる自分に、ぞっとする事あります。
有史以来、人間は常に戦ってきてます。遺伝子に組み込まれているのでしょうか?うちの小さな家族という団体でも、揉め事は絶えません。
ヒデタン男爵2005年06月03日 11:15
>nantakoさん
誰もが二度と戦争はあってはならないということだと思います。皆さんの思いや考えがいろいろ訊けて、ASAKOさんが言うように重い話も悪くないと思いました。
渋ちゃん2005年06月03日 14:20
叔父が戦艦大和に乗っていまして、数少ない生還者の
一人でした。
この叔父も数年前に亡くなったのですが、話しによりますと
「大和は不沈艦だから沈むわけが無い。」と思い込ませたい
軍部により生還者は終戦まで隔離されていたそうです。
もう戦争の話しをしてくれる人も少なくなりました。
羅留×22005年06月03日 22:44
ホント10分の1とは思えない迫力ですね!
包丁も使い方ひとつで便利な道具にも凶器にもなる様に、
人間の生み出す様々な技術が、全て良い方向に
使われていれば、歴史も変わっていたでしょうに・・・。
ヒデタン男爵2005年06月04日 00:29
>渋ちゃんサン
そうでしたか〜亡くなられた乗組み員が多い中、生還した叔父様は心中複雑な思いだったでしょうね。戦争体験をした生き証人の方が亡くなられる話を聞くとなんだか理由もなくさみしくなります。

>羅留×2さん
迫力あるでしょう〜設計図から忠実に再現されています。当時の実物写真と併せてみると鉄の塊って感じでこんなものが浮くなんて信じられません。
ち〜2005年06月12日 10:25
伯父が海軍で「大和」ではなく、「陸奥」の砲術長でした。
陸奥とともに沈み、私は一度も会うことがありませんでしたが、
陸奥に関する資料館などもあるのでしょうか、
知りたくなりました。
ヒデタン男爵2005年06月12日 11:28
そうだったんですか〜呉市はかっては旧海軍の拠点でもありましたが、呉港よりフェリーで20分で行けるところに旧海軍兵学校のあった江田島があります。

現在、海上自衛隊第一術科学校となっていますが構内には神風特攻隊員の遺書や遺品また旧海軍資料14000点が展示されています。「陸奥」の主砲も構内に置いてあるようです。毎日1時間30分のコースで一般公開されています。

http://www.urban.ne.jp/home/kurecci/shisetsu/kankou03.html