「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで~

増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」をいっきに読みました。
格闘技好きの私にとっては、とても興味深い内容でした。

著者も柔道家であり、敬愛をこめて木村政彦の生き様や彼に関わった人たちを絡めながら、戦前・戦後の柔道界や格闘技界の裏側にスポットをあてています。
力道山との試合で人生を狂わされた木村政彦のリベンジ本ともいえます。

kimuramasa

この本は「ゴング格闘技」に3年余り、連載され2011年9月単行本で新潮社から発売されたものです。
かなりセンセーショナルなタイトルで、しかも700ページを越える大著でしたが発売と同時にたちまちベストセラーになりました。今回読んだのは文庫本ですが、内容的にも圧倒的なボリウムがあります。

プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦と人気絶頂の力道山との実力日本一を争う「昭和の巌流島決戦」といわれた試合は幼心に興奮したものです。

この試合は仕組まれた試合であったことを後年知ることとなりましたが、負けた木村政彦は「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われ、毎日9時間以上練習をし全日本選手権13連覇、公式戦は15年間無敗という偉大な最強の柔道家であったことをこの本ではじめて知りました。
本来負ける筈のない格闘家だったのです。

タッグを組んでいた木村政彦は、いつも外人レスラーに負かされる力道山の引き立て役ばかり。
片や力道山は負け知らずでフォールされることは決してなかったのです。
当時のプロレスはすべて台本があり、力道山がヒーローになるよう演出されていました。

木村としてはおもしろくなくガチンコでやれば、絶対負けないという申し出から試合が実現しましたが、試合は当然ながらセメント(真剣勝負)の筈だったのに、裏では引き分けにする念書が二人の間に交わされていました。

30才の力道山も寝技に持ち込まれれば勝ち目はなく、柔道家としてピークはすぎているとは言え当時37才の木村の実力は認めていたようで、事前の打合せでお互い一本ずつを勝ち星をとり、3本目の試合は時間切れ引き分けにする手筈になっていました。

 

ところが、力道山は最初からその積もりはなかったようで紹介ビデオのような試合運びになりました。
視聴率100%のこの試合に台本があったことを観客は知るよしもありません。
巷に流れる当時の試合映像も木村政彦の有利な試合や力道山の反則などはカットされています(延べ6分間)。

この試合の勝利で力道山は国民的スターを確固たるものとし、木村は落ちぶれこの試合を機に生き恥をさらす結果になりました。 力道山は後に台本破りで違約金を木村側に払っています。

力道山はファンにとってヒーローでしたが、猜疑心の強さ、傲慢さ、酒ぐせの悪さ、金銭への執着など人一倍強いものがあり、可愛がられたジャイアント馬場でさえ「人間として何一ついいところのない人でした」と言っていることに驚きを感じます。

木村は、格闘技バカでした。 ビジネスセンスはなく玄人筋の女好きで底なしの酒豪でした。
力道山との試合前日、取り決めがあったとはいえ1升4合の酒と瓶ビール6本飲んで試合に臨んでいます。
万全を期して臨んだ力道山に対してプロレスをなめてかかったことも敗因に繋がったとも言われてます。

その後、力道山は39才のとき暴漢の刃に倒れ、木村は病により75才で亡くなりました。

力道山没30年後、猪瀬直樹(元東京都知事)のインタビューに対して「力道山を殺したのはヤクザではなく私だ。私が死という言葉を念じて彼を殺したのだ」と語っています。 台本破りは彼にとって終生忘れることのない無念の出来事だったに違いありません。

木村政彦も力道山も波乱万丈の人生を送り、昭和の怪物だったとことに違いありません。

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