死という最後の未来(石原慎太郎・曽野綾子著:幻冬舎)を読んだ

 

「死という最後の未来」~石原慎太郎さんと曽野綾子さんの本が先月発刊されました。
中身はお二人の人生観や死生観のテーマに基づいた対談集となっています。

興味あるタイトルでもあり、二人の論客の対談だったので、発売直後すぐ購入しました。
読み終えてから1ヵ月近く経ちますが、ブログネタもなくなってきたので、記事として取り上げました^^;

さすがに、若い人が興味を持つような本ではないと思いますが、仏教徒の石原慎太郎さん88歳、キリスト教徒の曽野綾子さん89歳~ともに功成り名を遂げた人の対談であります。
老いて益々元気で語彙の豊富なお二人の対談は、死生観は対極にあるものの、とても読みごたえがありました。人間死んだらどうなるのか~「老い」や「死」について語り合っています。

 

霊魂について語る一節です(書籍より引用)

曽野 私は霊魂というものはあって、不滅かなと思っています。
石原 あると考えているのですね。
曽野 信じる人たちは「永遠の前の一瞬」という言い方をします。この世に生きて、たくさんのことを考え、喜び、悲しんできたことが、死によって終わる。パタリとその働きをやめてしまうことはないと思いますね。
石原 そうですか。僕は息を引き取ったら、一瞬で魂もなくなると思いますけどね。瞬時にチリ芥になる。

 

来世について

石原 来世はありますか
曽野 あるという考え方です。でも未知ですから、来世があるとか、死別したら会いたい人に会えるかもしれないとか、そういう希望はあるかもしれないし、ないかもしれないし、絶望があるのかもしれない。両方あるのかしれない。希望と絶望のどちらかをとるというのは、人間の浅はかさかもしれません。
石原 そういった考えは、仏教にはないですな。お釈迦様はまったくそんなことは言っていない。仏教での来世は平安時代末期に浄土宗の法然が、人々の恐怖を救うために言い出したんです。
今で言えは一種のセールス。釈迦自身は、来世とか輪廻転生とか、天国とか地獄などとはひとことも言っていないんです。だから僕は「最後の未知」だと思っていて、何とかそれを知りたいわけです。
曽野 私にもわかりませんよ。実際に行ったわけではないのですから。天国と地獄がどういうところだということもわからない。わからないことを追及しても仕方ないですからね。私は知ろうとしたことがないんです。ただ、死にかけて、生きて戻ってきたという人の体験談は多いわね。花畑を歩いていたというような。

 

人間誰しも、必ず死にます。この世に生を受けたとたん死亡率100%の人生を歩んで行く訳です。
死後の世界を知っている人は誰もいません。死にかけて戻ってきた人は、脳内に描かれた夢を持ち帰っただけで、決して死んだ訳ではありません。私は石原さんの考え方に近いですね。

人間として生を受けたことに感謝をし、死のことはあまり意識せず、悔いのない人生を送りたいものです。臨終を迎えたとき「いい人生だった」と言えれば最高ですね。

 

ほかに、生命論・生命哲学に関する本としては、15年前に「永遠のなかに生きる」(柳澤桂子著)や「死後体験」(坂本政道)など読みました。

柳澤桂子さんは、お茶の水女子大学理学部卒で遺伝学者・生命科学者であり、サイエンスライターでもあります。坂本政道さんは、東京大学物理学科卒 カナダのトロント大学で電子工学を学び、ソニーに就職し半導体の開発にも携わっています。

生命に拘わる著作本ながら、お二人とも怪しげなスピチュアリストや霊能者でなく、れっきとした科学者であることに興味を覚えます。

 

米俳優のクリント・イーストウッドに、「花畑のある死後の世界を信じますか?」とある記者が聞いたところ、「僕は信じない だけどあるといいね」と。私も同感です。

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