55年ぶり2回目の大阪万博開催に思う・・・

2025年、55年ぶり2回目の大阪万博開催が決まりました。
正式には日本万国博覧会ですが、略称は開催地の名称から大阪万博と言います。
23日、開催国を決める総会がパリで開かれ、加盟国の無記名投票により大阪を候補地とする日本の圧勝に終わり、ロシア、アゼルバイジャンは敗れました。

 

1回目1970年(昭和45年)に開催された大阪万博はEXPO’70(エクスポ70)とも呼ばれました。
48年前の事なので日本の未来を担う40代の人がリアルには知らないということになります。

パビリオンには77カ国が参加し、延べ6400万人が入場
高度成長を成し遂げた日本の経済大国にふさわしいイベントとなりました。
平均給与は5万円入場料は800円でした。時の総理大臣は佐藤栄作。
会場ではモノレールや電気自動車のデモ走行や紹介されたワイヤレステレホンの重さは660g!
現在 スマホはポケットに入り、夢の壁掛けテレビ実現や電気自動車も今では当たり前の話。
あれから50年近くも経ち、ハイテク技術の賜物といえます。

 

当時 私は28歳~大阪でサラーマンをやっていました。
大阪在住だったので、いつでも行けると軽く考えていましたが、1970年3月15日~9月13日まで183日間開催されていたのに行ったのはたったの1日でした。
間借りしていた隣に済む女性が、万博パビリオン嬢のアルバイトをやっており、彼女とのデートの方が楽しかったですね。今は昔 独身時代の思い出です^^

 

アポロ12号が持ち帰った「月の石」があるアメリカ館や「宇宙船ソユーズ」が展示されているソ連館、テーマ館の「太陽の塔」などの人気パビリオンは延々と長蛇の列で2時間3時間以上待ちはザラでした。 わざわざ列が少くメジャーでないオランダ館とかスイス館などに入場した記憶があります。大阪万博開催そのものの思い出はありませんが、当時の世相を反映する出来事は色々思いだします。

1970年は、医師の日野原重明さんが人質にもなったよど号ハイジャック事件、総監室で「盾の会」の1人に介錯させ切腹した三島由紀夫割腹自殺や数百トンのジャンボジェット就航がありました。
大阪県警のスナイパーが犯人を射殺した瀬戸内シージャック事件も、地元広島の宇品港(現広島港)で発生した事を思い出します。経済面ではバブルがはじける1991年まで高度経済成長への始まりでもありました。

サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」やビートルズの「レット・イット・ビー」がヒットしていました。 今でも歌われていますが、若い人はきっと知らないでしょうね。

 

1964年東京オリンピック開催の6年後、1970年大阪万博が開催されました。
2020年東京オリンピック開催の5年後、2025年大阪万博が開催されます。

 

自分の人生で、2回の大阪万博&東京オリンピック開催に遭遇するのも不思議なものですが、2020年東京オリンピック開催時、私の年齢は満77歳、大阪万博開催時は満82歳
大阪万博については、男子平均寿命をわずかに越えますのでギリギリ~微妙です^^

 

若い時は、5年先10年先の事なんて何も考えずに迎えられると普通に思っていましたが、後期高齢者という括りに入ると免許更新時でさえ、3年先の更新まで元気で生きているだろうかと考えてしまいます。イベントも然り、7年後の大阪万博まで果たして元気で過ごしているかどうかは分かりません。

 

7年後もなると走っている自動車の大半が電気自動車でしょうね。
運転は今でも全然大丈夫なので(過信はしていません^^)、追い抜く事のほうが圧倒的に多くシルバーマークは付けられません。カリカリくる人が絶対いますから(笑)
82歳まで元気だったらまだ運転しているかもしれません。高齢者でもしっかり運転する人がいるんだという見本にしたいですね。
これからも生涯学習とチャレンジ精神を失わず、マラソンとあわせて心身を鍛えています。

 

大阪万博を迎えるにあたり、いろいろ私の思いが噴出しました。
最後まで読んで頂きありがとうございます<(_ _)>

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です