母の命日全体に公開
2006年04月15日15:46
昨日は、母の14回忌であった。
桜散るこの時期になると亡くなった母の事を想う〜。13年前も桜が咲く天気のいい日だった。 母の旅立ちを見送るように桜が舞っていた。

年をいくつ重ねても母を越えることは出来ない。私も若気の至りで、ずいぶん親不孝した。 母は戦争や従事した軍人をえらく嫌っていた。日本が戦争に敗れ、親父は会計将校だったが戦犯には問われなかったものの夫婦共々苦労したようだ。
 戦争体験をした家庭ではどこもドラマがあるが、気丈な母ではあったがいつも心配ばかり〜、私と違って親思いの孝行息子だった兄は34才でこの世を去った。その事に自責の念を持っていた母、また自身は節約しても私達や他人にも施す母の気持ちの大きさにいつも脱帽。

年老いてからは少し余生をゆっくり暮らせてやりたかったが実現しないまま倒れてしまった。私には3つ違いの妹がいるが、母がまだ元気な頃は精神的に支えになった事、脳出血で倒れ寝たきりになってからも嫁ぎ先から毎日片道一時間かけて病院に通い献身的な看病をしてくれた事には頭が下がる思いだ。 こういう時、男は不器用で役に立たない。今思えば父親より母との想い出ばかり〜。母親の愛情は偉大である。

コメント

さくら2006年04月15日 16:41
私の母は来年13回忌です。
父はその20年前の一日先に亡くなりました。
その時思ったです。
大正の教育はすごい!偶然命日が一日違いだったのでしょうが。
ヒデタンさんのお母さんは4月ですが私の母は今頃から
病院のベットから動けなくなり6月に亡くなりました。
今が子供たちにとって病院通いで私も何度も
危篤の知らせに九州から駆けつけたの思い出します。
母親は何時まで経っても忘れる事できません。
★ダンス2006年04月15日 18:15
うちでは母の看病に父ががんばってくれてます。
なんとか家族がそれぞれのことができるのも
三食昼寝、夕寝 朝寝しながらみてくれてるおかげです。
不眠の病人の横で高いびきでねています。
ミチ 2006年04月15日 18:28
母親の愛情は偉大である・・・と
ヒデタン男爵さんに印象づけられたお母様は、立派だと思います。
母親も いろいろです。 父親も。
父親が 大きな存在でいられるかどうかは、 母親次第でしょうね。
子供は 母親を通じて父親の偉大さに気付くことが多いような気がします。
ヒデタン男爵2006年04月15日 21:08
>さくらさん
母親との思い出は何年経っても忘れないものですね。孝行したい時に親はいないといいますが、元気な時は衝突ばかり〜。うまく行かないものです(笑)
ヒデタン男爵2006年04月15日 21:21
>ダンスさん
お父様お疲れでしょうが支えあってこそ夫婦と言えるかもしれません。
熟年離婚云々と言われているご時世、仲のいい証拠です〜♪。
ダンスさんはわざと悪ぶっているけど、ご両親はが子供がそばにいる事だけで心強いと思いますよ。
ママゴン2006年04月15日 21:43
(゜口゜;)うっ・・・
母親の悪口ばっかり書いてるわたしには、なかなか痛い日記です。
きょうも、口げんかになってしまって〜〜。
親孝行、したいときには親はなし・・・ですよね。
でも、
親孝行 したくない時 親がいる
これが、今の本音かな?

明日は、父のいる老健に行くつもりです。


ヒデタン男爵2006年04月15日 21:46
>ミチさん
明治、大正生まれの母親は気丈ですからネ。父が70才の時大手術してからの自宅療養は食事から身の回りまですべて母がやっていました。再発して2回目の手術をしてからは看護婦さんに注射のやり方を教えて貰って自分でやりました。厳密には医師法違反です(笑)
実は丸山ワクチンという免疫療法があるのですが、ほとんどの病院が認めておらず注射をしてくれない為でした。
なんやかんやと親父は母に面倒ばかりかけていましたが抗がん剤を使わず元気に84才まで存命しました。やはりいざと言う時は女性は強いです(笑) 
ヒデタン男爵2006年04月15日 22:00
>ママゴンさん
本音で話せるからこそ親娘だと思います。ママゴンさんの親子の会話は真実だからこそ共感を覚えるだと思う。笑っちゃいけないけど笑わせる〜。当人は大変なのにねぇ(笑)
天命をまっとうをしてお母様が亡くなった時、一番涙するのはママゴンさんのような気がします。
メリー2006年04月15日 22:54
こんばんは^^。

男爵さんのお母様思いに、頭が下がります〜!
親子って、ホントに不思議な関係ですね。
お互いの間が、良い関係だったかどうかは、
どちらかが倒れて始めて分かる事ですものね〜。

丸山ワクチンを考案されて、世に出された、
丸山博士の一生を著した「愚徹の人 丸山千里」という本を、
10年ほど前に読み、自分がガンを患ったらぜひ使ってもらいたい、
と思いました。大変貴重な薬剤で、手に入れるのも一苦労、
というのは、今も変わらないのでしょうか?
お母様のご苦労が忍ばれます。
  
★タカ★2006年04月15日 23:42
自分の母親はまだ生きてるので、これから親孝行したいと思います。
今まで迷惑や心配ばかりかけてきましたから。
今でもそうですが…(^_^;)

ヒデタン男爵2006年04月15日 23:48
>メリーさん
こんばんは〜♪
いえいえ 私は親不孝者でした^^; 今思えばどんな事をしてもしょせん手のひら、母親にはかなわないです。

丸山ワクチンご存知でしたか。 今でもあるようです。 最初は私が提供先である日本医科大学付属病院まで行って入手しました。丸山博士の講義も聴きました。2回目からは手続きをとれば郵送で送ってくれます。

病院がワクチンを使うと億単位のお金をかけ開発臨床実験した抗がん剤の存在が危うくなる事ですから製薬業界からの圧力もありました。
 なので当時病院内で使用することはなかなか大変でした。今はかなり使用も緩和してきていると聞いていますがワクチンを支持している医者もいますのでその医者を見つける事が必要です。
ヒデタン男爵2006年04月15日 23:56
>タカさん
 その通りです〜♪ 
親に迷惑や心配かけてはいけないと
       自覚している事だけでも立派なもの^^
ちゃこりーな2006年04月16日 00:18
実家に戻る前はこの先、いつ一緒に暮らせるかわからないので親孝行しよう!とはりきってたんですけど・・実際全然できてないように思えます。
結局は私が甘えることになってて負担をかけているようにも思えるのですが、親もまだまだ子供の手は借りんぞ!みたいに思ってる感じもなんとなく伝わってくるんですよね。
ヒデタンさんの言うように親は越えられないのかな〜と思います。
親孝行ってどうやってするんだろ?って考えちゃいます。
ma:ha2006年04月16日 05:42
うちの母は昭和2年生まれなんですが、日々ますます元気なのはほんとに有難いとしても、どえらく気性が強く、九州女の典型?って感じで、かばってあげたいとか、いたわってあげなきゃとかいう気持ちがなかなか湧いてこないんですが、ヒデタンの日記読ませていただいて、やっぱり孝行しなきゃなぁーと思った次第です。もうすぐ母の日だなぁ。
ET2006年04月16日 09:49
男爵さまこんばんわ。本当に私達の両親のときは戦争や食料不足で大変だったのでしょうね。癌の治療は昔と比べてこの数年で効果的になったとはいえその最新の医学の恩恵を受けられる人は幸運な患者さん。何しろ医者自身最新の情報を知らないことが多いので。私の両親も亡くなったけど言われるとおり病んでいるときに兄はまったく役に立ちませんでした。もちろん仕事があるけど私も遠いしもう少し何とかしてあげてって思いました。でも私が親不孝だったのかな。。。でも男性って”Crisis" に弱いのかも? 男性って多分行動を起こす前にあれこれ考えるのではないかしら? 女性はさっと本能的に行動して結局それがよい結果になることになったりして。
いなちゃん2006年04月16日 09:49
おはようございます^^。

僕の母は、僕がまだ小学生の時に亡くなりました。
しかも、父と分かれて離れ離れだったので、遠方にいた僕は死に際にも会えずお葬式にも出られませんでした。
ですから男爵さんのように母との思い出はほとんどありません。母の笑顔くらいしか・・・

母親がもし生きていたらどうだったでしょうか?
やっぱり親不孝したり、喧嘩したりしてたんでしょうね^^。

今は父と同居してるので、少しは優しくしてあげなければ!とは思うのですが、これがなかなか・・・!><
親子って難しいなぁと思う今日この頃です。
2006年04月16日 09:53
人の死って早いもんですね〜
でも〜何年も命日してあげることが・・・
親孝行になるんでは?
生きてるうちにが一番いいんですが〜
って人のこと言えない〜〜
まりも米もらいに行くときだけだもんな〜
親不孝してたな〜ww
言葉・・・言うのは簡単^^
行動しないとね〜〜
後悔しないように^^
よく〜自分が親になって・・・つくづく思いました^^;
ヒデタン男爵2006年04月16日 10:18
>ちゃこりーなさん
親の前では、どんなに背伸びしても子供はいつまでも子供なのでしょうね。「老いて子に従う」のは親が大人なのです。
老いてますます達者な親もいますがそれはそれで元気な証拠、親が元気なうちはうんと甘えましょう〜(笑)
ヒデタン男爵2006年04月16日 10:36
>ma:haさん
お母様が元気な事はなによりですよ。私の母も倒れるまでは元気がよかったです。減らず口もたたくので私も大きな気持ちで聞き流せばいいものを負けじといい年越えて言い負かせたり、今思えば大人気ない事です^^;
年老いた親に孝行しなくては思いつつも元気な時はねぇ〜
なかなか理屈とおりにゆかないものです。取り繕うことなく自然体で臨む関係が本来の親子関係かもしれません
ヒデタン男爵2006年04月16日 11:04
>ETさん
私の親とか来年定年を迎える団塊世代の親達は戦時中の食料不足のご苦労があったでしょうね。子供としては楽させてあげたいと思ってもこういう世代の親は贅沢を好まずいつまも自身は質素なのです。
妹が母を看病した時には、嫁いだ先方にも家に寝たきりの義理の母がいました。 娘の手は借りたものの3年間同時に看病した訳です。本来は私の家内が看病すべきなのですが家内に対しても愚痴や非難も一切することなくやり切りました。 本人の希望とは言え先方の理解があってもなかなか出来るもではなく妹には頭が上がりません。 現在もあれ以来寝たきりですが義理の母は100才で元気にしています。
ヒデタン男爵2006年04月16日 11:16
>いなちゃん
そうでしたか。悲しいお話だけどお母様の笑顔がなによりも替えがたい思い出だと思います。 私は親父も母親の時も仕事があったりなんやかんやで、両親の臨終にはいずれも立ち会えておらず駆けつけた時は亡くなったあとでした。 妹がそばいてくれた事が幸いでした。
いなちゃんは寛大で心が広そうだから、大丈夫でしょう。お父様が元気なうちにしっかり孝行しなくちゃダメだよ(笑)
ヒデタン男爵2006年04月16日 11:27
>ぽっちゃ★まりさん
まりさんはおちゃらけしているように見えますが(ゴメン^^;)、めちゃ明るい反面、ナイーブで心暖かい人だと日記を見ていて感じています。
きっと行動で示すだろうし子供さんはいつも親の背中をみているようだし、まりさんは年取っても老後は安泰かもネ(笑)
ママゴン2006年04月16日 12:00
丸山ワクチンは、近所の開業医で頼めばしてくれます。
手続きはこちらがしなけりゃいけませんけど。
一度は東京へ行くようなのですよね。
母が胃癌で2度の手術。
申し込むたびに、診断書とか書いてもらわないといけないのが面倒でしたが、もう、手術から20年ですから、大丈夫みたいです〜。
今はもう、やめましたけど、10年間、丸山ワクチンをうってもらいました。
東京に申し込みに行ってくれた妹が同じ胃癌であっと言う間に亡くなってしまったのは、皮肉な話です。
焼酎大好き2006年04月16日 12:31


思い出 いっぱいの 親父に なってやるぞーーーーー。
かずえ2006年04月16日 15:57
昔の親は・・・って、変な言い方やけど(^^ゞ
我々の年代の親は、やっぱり凄いなぁって思いますわ(^_-)

戦争も有ったりで、色んな苦労をしてきたからなんかなぁ?
強いし、偉大やなぁっと思います。

ヒデタン男爵さんのお母様も、きっとそうなんでしょ?(^_-)
ウチの母もそうですわ(^^ゞ

しっかり供養してさしあげるのが、一番のお努めやと思いますわ(^.^)
nantako2006年04月16日 19:39
今晩は〜
ヒデタン男爵さんの日記を読んで〜〜
色々と思い出〜〜頭の中に、よみがえって来ました〜。
父が、私に言った言葉・・花嫁姿が見れないな〜でした
私、17歳でした。
母は、私が、頑張ろうって言うと・・・もう、頑張らない・・有難うでした。
未だに、目が潤んできます〜〜。やっぱり母親の思い出は
私の、脳裏に焼きついていますね〜〜。"^_^"
★ダンス2006年04月16日 20:29
皆様のお母様の思い出ありがとうございました。
まだ母の在ることを感謝せば〜〜
ちゃこりーな2006年04月16日 21:10
「老いて子に従う」のは親が大人か〜。
なるほど。そうですね。
親子関係って難しいですね〜。お互い甘えちゃいますからね。
ま、でもそれが親子なんですかね。
ヒデタン男爵2006年04月16日 21:19
>ママゴンさん
父も10年近く続けました。メインは丸山ワクチンでしたがたまにサルの腰掛とかも煎じて飲んでいました。
妹さんの分までお母様に長生きしてほしいですネ。ママゴンさんは大変だけど〜〜親孝行と思って(笑)
ヒデタン男爵2006年04月16日 21:31
>焼酎大好きさん

 同じく 思い出いっぱいの 親父を目指すぞ〜

    私は もう手遅れかも〜ニッ。
    
ヒデタン男爵2006年04月16日 21:47
>かずえさん
確かに〜。 時代背景が今と全然違いますからね。
私とカミさんの両親は亡くなりましたので孝行しようにも出来ないけど、こういう節目に良き想いでだけを懐古するのです。
それだけ年を取ったのかも〜(笑)
ヒデタン男爵2006年04月16日 21:57
>nantakoさん
nantakoさんにとって涙なくして語れないお話ですね。
でも悲しいお話だけど感動します。 私も幼少の頃、やさしかった母親との想い出はいつまでも心に焼きついています。
ヒデタン男爵2006年04月16日 22:00
>ダンスさん
皆さんにそれぞれドラマがあるのですね。ご両親が元気なうちにいっぱいの孝行をしてください〜♪
ヒデタン男爵2006年04月16日 22:15
>ちゃこりーなさん
親子関係は理屈ではないでしょうね。DNAも継承しているし同じ血も流れている〜ひっくりかえせば「他人ではない」ということですから。 奥が深いと思います^^  あるがままに接すればいいのですよ(笑)
ミチ 2006年04月16日 23:48
丸山ワクチンは、製薬業界の圧力で広められなかったというのは、
少し疑問に感じました。
本当に見込みのある薬なら、
製薬業界からひっぱりだこになる筈じゃないですか?
臨床実験など、薬として認められるまでに必要な開発費用は、
100億、200億にもなると聞いています。
安全性と、効能の確かさが 確立するまでに、
時間と費用をかけて 
なんとか制癌剤、抗がん剤を開発しようとしているわけでしょう?

丸山ワクチンに望みを託している人たちの心情は、
とてもよく判りますが、
製薬業界が、食指を動かさない理由を、
流布されていることのみと考えると、
少し危険があるような気がしました。
私の思い過ごし、心配し過ぎ だけなら  いいのですが・・・。
2006年04月16日 23:55
4月14日がお母様の命日なのですね。
14年前はまだ濃厚ですね。
私方の、母は、もう25年になります。
脳溢血であっという間でした。
72歳でした。
父が残されました。
だから、いつも思うのは、私は72歳まで
生きられるのかしらと言う思いが、
いつも意識の中にあります。

男性にとって母親は、特別の思いがあるのかも
しれませんね。
まあ女である私にも、母のように優しく接してくれた人は、
世の中にいませんね。
いつも味方でした。

あの時代は、決して豊かではないし、
大方の日本人が貧しかったけれど、
母となった女性は、本当にいつも母親でしたね。

今の私達のように、自由に遊びまわっては
いなかったですよね。(笑)

今息子が、姿を時々我が家に見せてくれると、
嬉しくて、嬉しくて。

お母さんにとって、ヒデタン男爵様も、
とても大切なご子息でしたよ。
時々思い出して、涙することは、素晴らしい事ですね。
渋ちゃん2006年04月17日 18:24
私の母は今年の7月で88歳になります。
高齢のため体調を崩すことが多くなってきましたが、未だに自分のこと
よりも中高年になってしまった子供達(我々)のことを心配しています。

近くに居て1日中「あれは大丈夫か?これは大丈夫か?」と言われ
続けるとウンザリすることも有りますが、離れて居るとしみじみ
気遣いを在り難く思える様になった今日この頃です。
ヒデタン男爵2006年04月17日 19:24
>中さん
「手のかかる子をほど可愛い」と〜いいますが、私は心配ばかりかけていました。亡くなってから、母の部屋の遺品を整理した時、私達には人並みの事をさせておきながら、母の身の回りの品々のなんとお粗末な事〜。不憫でなりませんでした。

衣服は和裁洋裁に長けていた母はすべて手作り品〜わずかな年金を節約しながら妹名義や孫名義の預金通帳が出てきた時は、こんなことをしてまで・・・わが身を省みずいつも子供の事ばかり考えていた母。

葬式や告別式の時は泣かなかったのに親の愛情の深さに母の部屋でひとり、あふれでる涙が止まりませんでした。
後日、妹が「お兄さんの事が一番心配だと言っていたよ」と聞いてまた涙。
私も涙腺が弱くなっていけません(笑) 倒れるまで一人住まいだった母は気丈な人でもありました。13年前の話です。

中さんも親の年を越えてこそ親孝行ですよ。
元気で長生きすることが子供や孫の為なのかなと思っています〜♪
2006年04月17日 19:50
年とともに、涙腺も緩みますね。
すぐ涙もろくなる。
母が、何か言いながら、感動してすぐ涙声になり、
若かった私達は、そのことを笑っていましたが、
私も、同じように、なって来ました。(笑)
すぐ感動し、思うだけで、突然涙声になったりして、
われながら可笑しくなることがあります。

鈍くなっているのに、人の人情などに感動しやすく
なるのでしょうか。(笑)

13年前ですか。
よく言われている言葉、「孝行したい時には、親はなし」
これは実感ですね。

お母さんや、いろいろなことに感謝して
生きてまいりましょう。^^。
ヒデタン男爵2006年04月17日 19:50
>渋ちゃん
お母様が元気なことは喜ぶべきですよ。どんにおっさんになっても親にとっては渋ちゃんさんはいつまでも子供です。

元気な時はわがままいえるのも親なのです。母がいつも細かいことばかり言うので私も煩わしくいつも衝突していました(笑)。でも一人住まいなので週一回は訪ねると「来てくれんたんだね」と今も喜ぶ母の顔を思い出します。そして取り寄せた自然野菜や手作り料理を持って帰れと託けていた母、命日になるといつも思出します。
渋ちゃんさんも悔いが残らないよう親孝行してください〜♪
ET2006年04月19日 10:24
男爵さまこんばんわ。義母さん100歳なんておめでたいですね。きっと妹さんがやさしく面倒みてあげてられるからですよ。精神的な満足があるから元気なのだと思います。結局兄の奥さんには私も何も言えませんでした。今度自分の倒れたときにはいろいろ考えさせられるでしょうね。倒れないように健康に気をつけてある日寝ている間に死んでいきたい。。。
マユミン2006年04月19日 18:24
若い時に苦労は多かったけど 子供が多い分 孫も11人と多く
皆近所に住まわせて 子供と孫に囲まれて
母は幸せな老後だったと思います
阪神淡路大震災で 家が全壊、新築して一ヶ月 秋に亡くなりました

義母が寝たきりになって 弱ってきた頃 
主人はお見舞いに行きたがりませんでした
仕方がないから 時々私が独りで 三重県まで行ってたのですが
認知症になって 衰弱した義母を見たくなかったのだって 
後で気付きました

5人兄弟の末っ子 独りだけ県外。
弱った義母を見たくないというのも おとな気ないけど
男性は 女性とは又違った お母さんに対する思い入れがあるのですね
義母も 13回忌です

ヒデタン男爵2006年04月19日 18:40
>ETさん
妹夫婦は隣の岩国市に住んでいますが100才の誕生祝いで市長が表敬訪問したそうです。内蔵が丈夫なのでしょうね。30年以上も寝たきりなのに食欲もあり頭もしっかりしています。
ETさんもまだまだ先は長いです〜いつまでもお元気で♪
ヒデタン男爵2006年04月19日 18:53
>マユミンさん
親にとって子供は宝ですね。お母様の晩年はしあわせな日々だった事でしょう。ご主人はきっと元気な時のお母様をいつまでも心の中にしまっておきかったのでしょうね。私は幼少のころの夜なべしていた母親に「お母さん」の歌がフェードインしてきます。にっこり笑っている若い母をなつかしく思います。